12のステップの紹介
生きるという事はどういう事だと思うか?
家族会では生きるとは智と霊、両面の成長であると信じている。私達ほとんどにとってこの成長は、私達がこのどうにもならない薬物使用が、本人の弱さからでなく病気によるものだと認め受け入れた時始まる。私達は自分自身の内側を見つめ、そこに私達自身の弱さ―問題に直面することを拒んでいた弱さ。ある意味で総ての苦しみとよくない結果を総て依存症者のせいにしていた弱さ。そして自己憐憫にひたっていた弱さ―を見出した時成長し始める。
私達にとって12のステップは、より深く幸せな自分へのステップである。12のステップから私達は、完全には程遠く、今自分自身何かを学び何とかしなければ、このままの状態で止まったままになることが解っている。ステップにそって生きることによって私達は勇気と平安を得ることが出来るのだ。私達は助けられる人から助ける人となり、受ける人から与える人となることが出来る。徐々に私達は弱さから解放され、つらいけれど、この成長は苦しむだけの価値があるということを学ぶのだ。
12のステップ
これらのステップは、NAメンバーと同じく、依存症者の家族や友人にとっても、生き方となりうる。
- 私達は薬物依存症者に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
- 私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった。
- 私達の意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮にゆだねる決心をした。
- 探し求め、恐れることなく、生きてきたことの棚卸表を作った。
- 神に対し、自分自身に対し、もう一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
- これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
- 自分の短所を変えて下さい、と謙虚に神に求めた。
- われわれが傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった。
- その人たち、または他の人びとを傷つけないかぎり、機会あるたびに直接埋め合わせをした。
- 自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤った時は直ちに認めた。
- 自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を祈りと黙想によって求めた。
- これらのスッテプを経た結果、霊的に目覚め、この話を他の人達に伝え、またあらゆることに、この原理を実践する様に努力した。
ステップ 1
私達は薬物依存症者に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた
私達の多くは彼の薬物使用に対して意識的に目をつむっていた。「若い時期のお遊び」あるいは「家庭を持てば止まる」というような憶測で自分自身をごまかしながら。あらゆることをやってみたが、その結果私達の成しとげたことは、混乱を加えただけだった。もし今以上に何かが依存症者を使い続けさせるのに必要であれば、それは彼を止めさせようとする間違った私達の試みそのものなのだ。このことの明らかな結果依存症者でない側の完全な敗北であり、その結果希望は失われ、信じるということが、私達の生活の中から無くなってしまう。生きることは家族全体にとって全くどうにもならなくなる。
第一ステップは依存症者でない私達が再びしっかりと両足で立ち上がるための決してゆるがない土台だ。私達はこの土台から一つ一つプログラムに従って生きる結果、与えられる平安、なぐさめ、そして霊的成長へと進むことが出来る。依存症という病気に対して、私達の無力を完全に受け入れることによって解放感を得、そしてまた希望が戻る。今私達は私達自身の生き方に全精神を集中し、この混乱を徐々に秩序あるものにしていくことが出来る。家族の一人が正気で考えることが出来る時、家族全体のひどい状態はよくなり始めるのだ。
ステップ 2
私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった
家族会にたどりつく以前の私達は、もう自分は正常ではないのだと感じるところ迄きていた。私達が平静と落ち着きと、正しい判断を得るのに、もはや自分自身に頼ることは出来ないとはっきりわかった時、家族会で同じような苦しみの中に生きている仲間がどの様にして平安を得たのか探す気になった。
この時自分より偉大な力(ハイヤーパワー)が手を差し延べてくれたのだ。仮に私達が自分ではどうにもならないことにぶつかったときに、私達はおのずと自分以外の何かに助けを求めなければならないだろう。もし今私達の周りに居るこの家族会の仲間達が、ハイヤーパワーを受け入れる様になったのなら、そしてもしこの人達が以前私達と同じ様にどうにもならない滅茶苦茶な生活をしていて、そして今この様に平安でいられるのなら、私達もまた同じその力に頼って同じ結果を得られる様にやってみよう。
私達は恐怖と狂気が私達の生活を振り回す真只中で余りにも長く生きてきた。パニックが常に私達の生活を支配してきた。もうこれ以上自分にのみ頼って生きていくことは出来ない。私達は自分の心の平安のため、ハイヤーパワーに目を向けなければならないのだ。
ステップ 3
私達の意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮にゆだねる決心をした
まずハイヤーパワーがこの宇宙の創主であると信じ、その力に私達の人生を任せることだ。家族会はその方法を示してくれる。ハイヤーパワーに人生を任せるという事は常に私の内にあった心理なのだが、私達が自分の意志に頼っている限り、私達はその心理を見る事が出来なかった。その結果私達は砂嵐の中に入って行き、迷子になってしまったのだ。
神の意志に従うという事は行き当たりばったりの生き方をするという事ではない。それは深く意識し、全心霊を集中して神の意志に私の生き方を合わせることなのだ。この事はどうにもならない混乱を秩序ある成長へと方向づけることだ。
しかしながら私達が、この素晴らしい決断を一度断じて行い、総てがその後ずっとその通りにいくなら誠に有り難いのだが、そうはいかない。自分の意志によって行動しようという誘惑が徐々に消えていき、それが私達の内にあるものの真の本質になるまで絶えず努力し、再確認していく事である。
ステップ 4
探し求め、恐れることなく、生きてきたことの棚卸表を作った
このステップを実行する上での最も大きな障害の一つは、自分自身に正直になることの難しさである。最大の欠陥は無関心になっていることである。多分過去において、私達は自分は常に正しいという信念で生きてきた。私達の自己正当化は、ここから根を生じている。この状態は私達が習慣的に問題をその生じる根っこの中に閉じ込めておけば、発酵し爆発して、より複雑になっていくかもしれない。多分私達は恨みを抱いている。恨みと拒絶は私達を人間的な病気にさせる。もし自分がこの不健康な状態に落ち込んでいる事がわかったら一時も早く手を打つべきである。恨みは長く抱けば抱く程、それから開放されることは困難となる。
もし自分がすぐ傷付く状態にあれば、それは自分が他の人にとって問題であると同じ様に、自分自身にとっても問題なのだ。私達は正直に自分自身の内に非があるのではないのかどうかを、自分の感情を目の前に引き出して分析するべきである。他の人を許し、その人のために祈れば、その消し難い傷は徐々に消えて行く。
私達は自分が自己中心であるその動機を調べるべきである。これが棚卸である。悪い事ばかりでなく、良い事も書き出すがよい。自分自身に全く正直であること、これが最も大切であることを忘れず、自分を正当化したり非難させたり、許したりするな。また受けた傷のみ並べ立てるな。恐れることなく探し求める棚卸にするべきである。
ステップ 5
神に対し、自分自身に対し、もう一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた
神は私達の過ちによってショックを受けないと知っていても、神に対して過ちを認めることは困難である。しかも他の一人の人間に対して自分の過ちを認めることは、更に困難である。しかしこうすることによってのみ私達は自分自身を公表したのであり、そしてそのことは私達を根深く捕らえている、そのものから解放されるのを助けることが出来る。
このステップは生きることに対して健全な分かち合いの姿勢へ向かう、確かな前身の第一歩である。
ステップ 6
これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた
もし私達が神の助けを受け入れる用意があれば、神は私達の究極の幸せのために、どんなことでも出来、又して下さるという事を私達は知っている。ただ単に自分には大きな欠陥があり、それを取り除く様に漠然とした決心をするのでは充分ではない。私達自身、心から取り除く事を受け入れさせる絶対的な努力を必要とする。
ステップ 7
自分の短所を変えて下さい、と謙虚に神に求めた
私達の至らない部分が、取り除かれるように謙虚に誠実に願わなければ、私達は過ちを犯し続けるだろう。私達の至らない部分は私達自身、それを行い、行ない続ける事を許していた悪習慣である。私達は完全にはなれないだろうが、不完全な部分を減らしていく事は出来る。
謙虚になるということは屈服することではない。謙虚とは意識して私達より偉大な力を求め、その力に意識して、心から私達の生き方を支配して下さる様願うことである。謙虚はハイヤーパワーとの永遠のつながりを求めるためには、中心となるものである。
ステップ 8
われわれが傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった
このプログラムは私達に霊的成長の機会を与えてくれるものであるから、私達はもうこれ以上自分の不満を、他の人にぶつけ続けることは出来ない。私達は応々にして、どんなに人を傷付けているか気がつかない事が多いが、自分でそのことに気付くまでは償いをしようという気にはなれない。傷付けた人のリストを作りながら、私達は最も傷付けた人は自分だったと気付くことがよくある。だから私達は傷付けた他の人達と同じ様に自分自身に許しを求めるのである。
ステップ 9
その人たち、または他の人びとを傷つけないかぎり、機会あるたびに直接埋め合わせをした
ここまでの8つのステップを私達が誠実に思慮深く、謙虚に祈りを持って歩んで来たなら、このステップは私達を行動へと導くものである。しばしば直接償えることもある。もし私達が家族に対し無視、かんしゃく、あるいは冷たい仕打ちで傷付けたなら態度の変化と、意識的に償おうとする事はその傷をいやすかもしれない。もし私達が自己中心的な気恥ずかしさや、怠慢の故に仕事や社会的責任を逃れていたならば、私達は家庭外での出来ることをすることによって、償うことが出来る。
時には私達は無関係な第三者を傷付けながら、償いをする事がある。このような場合他の人を傷付けながら自分の重荷を降ろすことは、以前の過ちの上に更に過ちを重ねることになろう。
家族会は私達に前進を求めている。もし私達が過去において、一人の人を傷付けたなら、私達は家族会プログラムを意識的に実践し、自分の生き方とすることによって、これから一人、十人、または千人もの人達を助け償うことが出来る。
ステップ 10
自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤った時は直ちに認めた
この提案されたステップをやっとここまで踏んで来てさえも、情無いことだが、私達は未だ完全に聖人のようにはなれないばかりか、全く余りにも人間臭すぎる。私達は過ちを犯し続けている。あるものは小さな過ち、しかしあるものは致命的な過ち。私達はよくない事をし続けている。気付かずに、あるいは意識しながら。私達は自分の進歩を知るためにしばしば棚卸をしてみると、私達が怒って反論するかわりに、静かに祈ることが出来たことを教えてくれる。これらの棚卸は私達がどこで間違っているかを教えてくれるのだから、その間違いを早く認めれば認める程私達のためによい。棚卸のためにしばしば立ち止まることは私達の荷を軽くしてくれる。
ステップ 11
自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を祈りと黙想によって求めた
このステップは総ての家族会を3つのはっきりとしたグループに分ける様だ。多分このステップには何かがあり、いつの日か、その何かについて何とか私はするだろうと思う人達。もうちょっと踏み込んでいるのだけれど、いったい神の意志をどうやって知るのか、そしてこの忙しいの現実の生活の中で、黙想の時間などどうやって得られるのかと、思いめぐらすだけで行き詰まってしまう人達。3つめのグループの人達は幸せな人達といえるだろう。すなわち彼らは直ちに完全を期待しないが、自分自身をそれへの到達の道へのせる人達。
大切なことは常にハイヤーパワーに近付こうとする事である。人間の不完全さや欠点が、多分ハイヤーパワーの意思を完全に理解することから、私達を遠ざけるだろう。けれども私達が彼の意志に従うために、それを完全に知る必要はないのだ。意識的に熱心に自分自身をハイヤーパワーと一致させようとする努力は、徐々に実を結んでいくものだ。静かな一時に、私達は物事を全体としてみる様、心と気持ちを高くひろげてみよう。私達は余りにもしばしば限られた能力で、無限の物事を測ろうとしすぎるのではないか。
ステップ 12
これらのスッテプを経た結果、霊的に目覚め、この話を他の人達に伝え、またあらゆることに、この原理を実践する様に努力した
霊的目覚めはこれからの総てのステップの結果として与えられるだろう。それぞれのステップは、その前のステップに続いて成長する。
私達がもし他の人を助けようとするならば、私達はまず、これらのステップを自分自身の生き方としなければならない。私達は自分自身が持っていないものは、決して人に与えることは出来ない。
他の苦しんでいる仲間にメッセージを運ぶことは、家族会プログラムの最も大きな報酬の一つである。他の人を失望から希望へ導くことは、そのボーナスとして愛を知り、受けることなのだ。
もし私達が毎日の生活のあらゆる場面に、このプログラムを取り入れようとするなら、私達の霊的成長は無限であり、またその報酬もつきることがない。